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天の王朝

天の王朝

カストロが愛した女スパイ9

▼ウォーターゲート事件
あの悪名高いウォーターゲート事件では、暗殺集団オペレーション40で、ロレンツの上司であったスタージスと、スタージスのボスであるハントが首謀者であり実行犯であったのだ。しかも、反カストロの亡命キューバ人たちも、侵入事件の実行犯として暗躍していた。

では、そのウォーターゲート事件について、説明しよう。

大統領選挙の序盤戦が繰り広げられていた1972年6月17日、5人のグループがワシントン市内のウォーターゲートビルにある民主党全国委員会事務所に忍び込んだところを逮捕された。逮捕されたのは、フランク・スタージスを含むキューバ人ら5人であった。

最初は、何の変哲もない住居侵入事件に思われた。しかし、侵入犯の一人がニクソン再選委員会の警備主任であることがわかると、一気に疑惑が噴出した。ワシントンポスト紙は政治的陰謀の可能性を示唆しながら、事件の主犯が元CIA諜報部員のハワード・ハントで大統領補佐官とも緊密な関係にあることや、ニクソン再選委員会の資金が侵入犯の活動資金になっていたことなどをすっぱ抜く。

これに対しニクソン大統領は関与を否定する一方で、裏では事件の揉み消しを指示。しかし、ハントと元FBI捜査官のゴードン・リディが侵入事件当日、別の場所から侵入犯に指示していたことがわかり、結局ハント、リディの主犯格二人と、スタージスら実行犯5人の計7人が起訴される。彼らは、民主党のマクガバン大統領候補がカストロやホーチミンから資金をもらっている証拠を握る目的で、盗聴器を仕掛けに事務所に進入したことを認めた。

1973年1月には裁判が始まり、被告は全員有罪を認めたが、あくまでも「単独犯」であることを主張した。同月30日には被告全員に有罪の判決が下された。

ニクソンの思惑に反して、事件はこれで幕引きとはならなかった。

2月9日に上院がウォーターゲート特別調査委員会を設置、本格追及を始めると、メディアも次々とホワイトハウスの陰謀を暴露していった。タイム誌は、ホワイトハウスを舞台に盗聴が頻繁に行われていたことをスクープ。ハントがほかにも侵入事件を起こしていたことや、ハントが政府内部の情報をすっぱ抜くジャック・アンダーソン記者を殺そうとしていたことなども次々と明るみに出た。

同年5月22日、ニクソンはとうとう、盗聴工作、侵入事件などを認めたうえで、国家安全保障のために必要な措置であったと弁明するまで追い込まれる。

その後もメディアや議会の追及は続いた。大統領執務室での会話を録音したテープがあることがわかると、テープの提出を拒否するニクソンと、提出を求める議会・司法省の対立が激化。1974年7月27日には下院司法委員会が、テープ提出を拒否することは司法妨害であるとする弾劾決議案を可決する。

苦境に立たされたニクソンは同年8月8日、突如大統領を辞任する。ニクソンの後、大統領に就任したジェラルド・フォードは、ニクソンに恩赦を与え、ニクソンの犯罪は裁かれずに終わった。

▼暴露
有罪となったスタージスは、コネティカット州ダンブリーにある重罪刑務所に収容された。
なんという仕打ちだろうと、スタージスは思ったにちがいない。スタージスは故国アメリカのために、共産主義者と戦い、敵であるカストロ暗殺を企て、スパイの使命を受けてニクソン再選運動で暗躍した。おそらく、「国家安全保障上の殺し」もやってきただろう。

スタージスは、自分は愛国者であると思っていた。ところが、首謀者といえるニクソンは恩赦を受けても、スタージスら実行犯が恩赦を受けることはなかった。トカゲの尻尾切りだ。“雇い主”に裏切られたとの思いからスタージスは、国のために非合法活動をしてきた自分の過去をぶちまけようと思い立ち、刑務所からニューヨーク・デイリー・ニューズ社と接触を図った。

そのとばっちりを受けたのが、ロレンツであった。ある日、ニューヨーク・デイリー・ニューズの記者がロレンツを訪ねてきたのだ。ロレンツは最初、「マリタ・ロレンツ」などという名前の女性は知らないと突っぱねた。だが最終的には、諜報機関の許可が下りたこともあり、その記者と会って話をすることにした。

その男性記者はスタージスから受け取った写真を持っていた。その中の一枚には、カストロと一緒に写っている1959年当時のロレンツの写真があった。記者はスタージスから聞いた話の裏を取りたかったのだ。はめられた、とロレンツは思った。その記者はスタージスから聞いた話の一切合財を記事にするつもりだという。

そうなればロレンツの素性が世間に知られてしまう。それはつまるところ、FBIの仕事がもはやできなくなるということであった。

FBIはデイリー・ニューズの記事をもみ消そうとした。だがその努力もむなしく、ロレンツとカストロの話、武器庫襲撃や訓練に明け暮れたフロリダ時代の話など、思い出したくもない出来事の数々がすべて詳細に紙面を飾ってしまった。

人目を忍んで生きてきた10数年の努力が台無しになってしまった。ロレンツはお尋ね者になったような気分だった。怒りがフツフツと湧き上がってきた。すべてウォーターゲート事件で捕まったスタージスのせいであった。

ロレンツはやるせない怒りをぶつけるため、刑務所で服役中のスタージスに面会した。面会室に現われたスタージスはまるで、旧友と話すときのような口ぶりであった。

▼破滅へ
(前回までのあらすじ)ロレンツはスペインで何者かに毒物を飲まされ、ヒメネスに会えないまま帰国、治療を受ける。ニューヨークでは、何度かの恋を経て、FBIの覆面捜査官ルイスの子供を妊娠。男の子マークを産んだ後、ルイスと結婚し、一緒に覆面捜査官としてFBIの諜報活動に参加することになった。しかし、ウォーターゲート事件で逮捕されたスタージスは、ロレンツの素性をメディアにばらしてしまう。

ロレンツはスタージスに怒りをぶつけた。
「どうして私のことをしゃべったりしたのよ」

スタージスは二人の会話が録音されていることを知っていたのだろう。ロレンツの質問には答えずに、自分は刑務所に入れられるような男ではないと言う。スタージスは政府のために仕事をしてきたのだから、もっと報われるべきであると考えていた。

このときロレンツは、ずっと気になっていたことをスタージスに問いただした。それはロレンスが親しかった二人の不審な死についてだった。一人はカストロ暗殺計画のときにロレンツの味方になってくれたFBI情報部員アレックス・ローク、もう一人はキューバ滞在中に危険な目に遭ったロレンツを助けてくれたカミロ・シエンフェゴスだ。

スタージスは言った。「CIAの仕業さ」

やはり「邪魔物」は消されていた。あるCIA工作員がロレンツに告白していた話は本当だったのだ。その工作員は臨終の間際に、CIAがヘリコプターにプラスチック爆弾を仕掛けて、シエンフェゴスを爆殺したのだと語っていた。何かとスタージスと対立していたロークも、邪魔物として殺されたのだろう。

面会でスタージスは、ロレンツをスケープゴートにしたことを認めた。そして、もう素性がばれたのだから、ロレンツもマスコミを利用して金儲けすればいいと、他人事のように言うだけだった。

スタージスは結局、ワシントンDC地区の刑務所に移された。同じころ、スタージスがデイリー・ニューズに語った「スーパースパイ、マリタ・ロレンツ」の記事が、6回続きの連載で大々的に掲載されていた。

86丁目のニューズスタンドで見た新聞には、センセーショナルな活字が躍っていた。「CIAの命令、フィデルを殺せ」。フィデルとロレンツが愛し合ったベッドの下には、バズーカ砲が置かれていたなどという与太話も書かれていたようだった。

顔写真も掲載されていた。新聞を読めば誰でも、ロレンツであることがわかる内容であった。おそらくそれが、FBIに手を貸しているロレンツをたたきのめすためのCIAなりのやり口であり、スタージスなリの復讐だったのだろう、とロレンツは自伝で述べている。

スタージスはその後も、様々なメディアに自分の話を売り込んでは、カネを儲け続けた。ただし、ケネディ暗殺の狙撃者の一人であったことは決して言わなかった。だが、否定もしなかった。

ロレンツの記事があちこちの店頭に出回った日、すべてが終わった。FBIの仕事も、ルイスとの結婚生活も、スパイ活動も、ロレンツはすべてを失うことになった。

▼落胆、そして再調査へ
すっかり落ち込んだロレンツは、子供たちを母親に預けて、泣きながらイーストリバーまで歩いていった。河岸の手すりのそばに立ち、行き交う船を眺めた。裏切られた悔しさから涙が頬を伝って落ちた。

スタージスが憎かった。殺してやりたいと思った。ロレンツのプライバシーを暴きまくったマスコミも恨んだ。彼らはただ、面白く記事を書きたて、ロレンツに弁明を与える機会すら与えなかった。

涙を流して、川を見つめていると、犬を連れた老人が声をかけてきた。
「泣いては駄目だよ。あなたのような綺麗なご婦人には涙は似合わない。それに身投げはいけない。私の一日が台無しになるからね」

ロレンツは老人に、落ち込んでいるだけで、自殺するつもりはないと告げた。偶然にもその老人は、東88丁目のアパートの管理人で、1階の庭付きの部屋が一つ空いているとい
う。ロレンツは案内してもらって、その場でその部屋を借りることにした。

自分たちが住むビルの管理人がFBIで働いている女スパイであると知って、ソ連の大使館関係者らはその月のうちに、次々と引っ越していった。

もう店仕舞いである。1976年2月、ロレンツとルイスは正式に離婚した。これからどうなるかロレンツにはわからなかったが、とにかく過去を清算しておきたいと思ったのだ。

デイリー・ニューズのロレンツに関する記事も一つのきっかけになったのだろう。そのころ米下院では、下院議員トマス・ダウニングらを中心に、ケネディ暗殺事件を再調査すべきであるとの動きが出ていた。

決定的な決め手は、事件の一部始終をとらえた、アマチュア写真家エイブラハム・ザプルーダーの映画フィルムであった。ザプルーダー・フィルムと名づけられたその映画フィルムは、ケネディに向けて発射された弾丸は3発ではなく、4発であったことを明確に示していた。しかも、そのうち一発は、オズワルドがいた後方からではなく、明らかに前方から撃たれていた。

オズワルドの単独犯であったなどという報告は到底、信じられない。もっと大きな陰謀が背景にある。そう確信したダウニングは、元CIA工作員ロバート・マローらから事情を聴くなど精力的に独自調査を進め1976年7月、ケネディ大統領暗殺の背後にはCIAと亡命キューバ人のグループがいたとする報告書を発表、下院内に調査特別委員会を設置すべきだと強く主張した。

▼調査と口封じ
下院では当初、ケネディ暗殺を再調査するのは税金の無駄遣いであるとの意見が強かった。事件発生から13年近く経ち、すでにウォーレン委員会の報告で、暗殺はオズワルドの単独犯行であると“決着”していたからだ。

しかし、ザプルーダーフィルムの解析や、スタージス、マローといったCIA工作員による陰謀の暴露など、新事実が次々と明らかになっている。ダウニングらはここであきらめるわけにはいかなかった。当時同様に陰謀の疑いがあったマーチン・ルーサー・キング暗殺事件についても再調査するということで下院内の支持を広げ、ケネディとキングの暗殺を調査する特別委員会を下院に設置させることに成功した。1976年9月のことであった。

下院暗殺調査特別委員会の設置は、スタージスら、ロレンツが長年にわたって知っている男たちを不安がらせた。自分たちの悪事に調査が及ぶのだろうか。彼らの神経は過敏になった。CIAに“協力”していた組織犯罪のメンバーたちも、自分たちが口を割らないように、都合よく抹殺されるのではないかと恐れていた。

彼らの恐れは現実であった。CIAによるカストロ暗殺計画にかかわっていたマフィアボスのモモ・サルバトーレ(通称サム)・ジアンカーナは1975年6月、別の委員会の証人として連邦政府に保護されていたにもかかわらず、自宅の地下室で射殺された。余計なことをしゃべるなというメッセージが伝わるように、サムの口の周りには計6発の銃弾が打ち込まれていた。

そのメッセージを受け取り、生き延びた証人もいる。サム・ジアンカーナと同様に、CIAのカストロ暗殺計画に深くかかわったフロリダのマフィアボスであるサントス・トラフィカントは下院暗殺調査特別委員会に証人として召喚されたが、偽証の道を選んだ。

知っていることを証言するか、偽証するかで躊躇している証人には、ラスベガスのチンピラマフィア、ジョン・ロゼッリのケースが不気味な警告となった。CIAによるカストロ暗殺計画で中心的役割を演じたロゼッリは、上院と下院から証言を求められていた。ロゼッリは一度上院で証言をしたが、証言内容は満足のいく内容ではなかったようだ。二度目の証言がある前の1976年7月、ロゼッリはマイアミ沖に浮かぶドラム缶の中で死体となって発見された。ドラム缶にちゃんと収まるように、足は切断されていた。

ロレンツにとっては、「明日はわが身」であった。案の定ロレンツは、重要な証人候補に挙がっていた。下院特別調査委員会の調査官たちがロレンツのところにやって来て、ロレンツがかかわった秘密情報活動と、スタージスらとのダラス行きについて事情聴取をした。

危険は刻々と迫っているように感じられた。疑心暗鬼が首をもたげる。スタージスの出方を探るためロレンツは1977年10月、スタージスと会って下院暗殺調査特別委員会について話し合った。

▼モニカの計画1
ロレンツもスタージスもお互いを疑っていた。自分の都合の悪いことを言いふらすのではないかと、お互いが恐れていた。スタージスは、秘密情報活動についてロレンツに証言させまいとしていた。ロレンツを自分の支配下に置いておくために、CIAの仕事をフルタイムでしないかと持ちかけてきた。ほとぼりが冷めるまでアンゴラへ行けというのだ。

ロレンツは断った。ロレンツはすでに、下院暗殺調査特別委員会の調査員に秘密情報活動とスタージスらのダラス行きについて話しており、今さら沈黙することも偽証することもできなかった。長年の付き合いから、スタージスは自分を罠にはめようとしている、とロレンツは感じた。アンゴラに行けば、“都合よく事故死”する可能性もあった。スタージスの言葉の一つ一つは、しゃべるなと言う脅しに聞こえた。

ロレンツはスタージスと話し合った後、友人の警官にスタージスのことをさんざんののしった。それをモニカが聞いていた。さらにモニカは、ロレンツとスタージスの間で交わされた会話を録音したテープをこっそり聴いていた。当時15歳で、パーク・アヴェニューにあるロヨラ校に通っていたモニカにとって、スタージスは自分の母親の命を脅かす危険極まりない人物に映っていた。

事件が起きたのは、その年のハロウィーンであった。
その日ロレンツは、スタージスに会うことになっていた。モニカもそれを知っていた。モニカは学校に行かずに、しかるべき筋からピストルを手に入れ、パスポートとカネを家から持ち出し、通りの向かい側で待機した。母親の命を守るためにスタージスを殺そうと考えたのだ。

モニカは公衆電話からロレンツに電話をかけてきて、その計画を明かした。モニカはロレンツの言うことにまったく耳を貸さず、計画を実行すると告げた。ロレンツはすぐに、事情を知っている友人の警官に電話をかけ、モニカの計画を阻止するため23分署に連絡を取ってもらった。

しかし、間に合わなかった。タクシーから降りたスタージスに向かって、モニカはピストルを撃ち始めた。

▼モニカの計画2
モニカはスタージスを狙って無我夢中で撃った。幸いなことに、発射された何発かの弾はすべて目標をはずれた。モニカは怖くなって、走ってその場から逃げた。

駆けつけた23分署の警官たちがモニカを追い詰めようとした。するとモニカは、屋上に上って屋根伝いに東88丁目にある市長邸の近くまで逃げた。そして市長邸そばの電話ボックスに入ると、ロレンツに電話をかけてきた。モニカはスタージスに命中したかどうか知りたがった。ロレンツは、スタージスのことは忘れて、とにかく自首するよう懸命に説得した。

警察はモニカを遠巻きにして待機した。モニカが銃を持っていたからだ。非常線が張られ、隣接する屋根の上には狙撃用ライフルを持った警官たちが配備された。

モニカはまだ、冷静さを何とか保っていた。23分署の警察官の中には、ロレンツの元同僚や友人で、モニカをよくかわいがってくれた“おじさん”たちもいた。モニカは“テリーおじさん”を呼び出して、彼のもとに自首した。

スタージスは強要の疑いで逮捕された。ロレンツが下院特別調査委員会で証言する内容を無理やり変えさせようとしていたのではないかと警察は考えていた。

モニカは、未成年者を裁く刑事裁判所で罪状認否手続きをした後、釈放されてロレンツの保護下に置かれることになった。学校は退学になり、デイリー・ニューズの一面にはモニカの事件が載ってしまった。

ロレンツに対する嫌がらせは、この事件が起きる一年前から始まっていた。
ロゼッリの死体がマイアミ沖に浮かぶドラム缶の中で見つかった翌日、その記事が大々的に掲載された新聞が、何者かの手によってロレンツの部屋のドアの下に滑り込ませてあった。記事の上には「次はお前の番だ」と書かれていた。

ロレンツは詳細を語らないが、あるとき、ロレンツを殺すために雇われた殺し屋に出会ったこともあるという。その殺し屋は急に泣き崩れて、自分とそっくりな境遇のロレンツを殺すことができないと告白したと、ロレンツは自伝に書いている。

ロレンツは危険から身を隠す必要があった。友人を通じて弁護士を紹介してもらい、危険が去るまでの間、保護拘束が受けられるよう手続きをしてもらった。

ロレンツ、モニカ、マーク、それに保護拘束が始まったその日にたまたまロレンツのアパートに遊びに来て電話をかけまくっていた友人チャウ・メインの4人は、マイアミに飛び、空港そばのコテージで保護拘束下に置かれることになった。

▼モニカの写真
Monica & Mark

ロレンツの自伝『MARITA』に掲載されたモニカとマークの写真です。

モニカは1962年、ベネズエラの独裁者ヒメネスとの間に生まれました。半分がベネズエラ人の血で、残りの半分はドイツ人とアメリカ人の血が混ざっていますね。写真説明には、何歳の時の写真であるかは書かれていません。ミス・フィットネス・アメリカに出場したようです。

右下が、1969年にFBIの覆面捜査官ルイスとの間に生まれたマーク。

ロレンツには、フィデル・カストロとの間に生まれた男の子もいますが、ロレンツは一度も会ったことがありませんでした(第28話参照)。だけど後に、劇的な対面を果たすんですね。その話は、今後の展開で明らかになります。

▼襲撃
保護拘束下では、武装した二人の保安警備員が警備に当たっていた。しかし、24時間任務に当たっているわけではなかったようだ。それがとんでもない事件を招いてしまう。

ある晩、ロレンツがその隠れ家のコテージで眠っていると、自分の首に何かが当たるのを感じて目を覚ました。目を開けると、裸の男が目の前に立っており、ロレンツの首にナイフを押し当てていた。ロレンツは戦慄で凍りついた。刺客がやってきたのか。「間違いなく殺される」と、ロレンツは心の中で叫んだ。

動揺しながらも、ロレンツは状況を見極めようと努力した。男は白人で、27歳前後、身長173センチ程度、小太り、ブロンドの髪で目は青く、汗をびっしょりかいていた。雰囲気から、どうやらCIAの殺し屋ではないようだ。刺客が全裸であるというのは、どう考えてもおかしい。

するとその男は、ロレンツの耳元で卑猥なことをささやき始めた。これから男がしようとしている性的暴行について話しているようだった。男は性的異常者であったのだ。

男は片手でナイフを突きつけながら、もう一方の手で自分のペニスを握っていた。ペニスをしごくたびに男の体が揺れて、ナイフの刃先がロレンツの皮膚を軽く突いた。

この隠れ家にロレンツが銃を持ってくることは、許されていなかった。それでも、護身用の飛び出しナイフをジーンズの後ろポケットに入れてあった。そのジーンズはベッドの下に脱ぎ捨ててあった。そこでロレンツは、できるだけ穏やかな口調で「誰も起こしたくないから」などと言って、一緒に別の部屋へ行こうと誘った。

男は同意して、ゆっくりと後ずさりしながらドアに向かった。ロレンツはその隙を逃さなかった。ジーンズからナイフを取り出すと、男の手首に切りつけた。

男も反撃する。ロレンツは刺されないよう左右に飛び跳ねながら、攻撃のチャンスをうかがった。物音で目を覚ましたモニカが、自分の部屋から出てきて叫びはじめた。友人のチャウも目を覚まし、金切り声を上げた。

ロレンツは、モニカに部屋に戻るよう叫び、チャウには黙るよう怒鳴った。

ロレンツは一瞬の隙をとらえ、ナイフを振り下ろした。刃は男の胸と腕を切り裂き、男はコーヒーテーブル越しに後ろ向きに倒れた。男はまだ、完全にはひるんでいなかった。起き上がると、後ずさりしながらドアの方向に向かった。ロレンツは巧みに男をドアの外に追い出すと、ドアを閉め、右手にナイフを持ちながら左手でバリケードを築いていった。

マークが恐怖で顔を引きつらせながら、ロレンツの部屋に入ってきた。モニカはマークをなだめながら、バリケード作りを手伝った。チャウはいつまでも泣き喚いているので、ロレンツは平手打ちで顔を叩き、保護拘束の責任者であるスティーブ・ズカスに電話をかけるように命令した。

しかしチャウは、すっかり怯えて腰をぬかしており、使い物にならなかった。そこでモニカが受話器を取り上げ、ズカスに危機的な状況を伝えた。

外に追い出された変質者は、“獲物”をあきらめていなかった。今度はバスルームの窓を覆っているブラインド状の窓の隙間にナイフの刃を突き立てて、窓をこじ開けようとしていた。

▼証言へ
家の中に再び侵入しようとしながら、男はわめいた。
「殺してやる。中に入れやがれ。俺を傷つけたな。お仕置きしてやる」

男は場所を移動しながら、隙間という隙間にナイフを突っ込んでは、無理やり手を突っ込んで窓を開けようとする。家の中では、チャウはもう手がつけられない状態となり、恐怖で震えて縮こまっていた。マークはベッドに隠れた。モニカは怯えながらも、外のわめき声が聞こえないよう弟の耳を手で押さえて、弟を守ってやろうとしていた。

ようやく救援隊が到着した。男はそれに気づいて逃げ去った。

救援隊は6~8人の警官と、救助医療班の人たちであった。ロレンツはナイフを手放すことができないまま、ただ茫然と座っていた。現場にやってきた担当官のスティーブ・ズカスは、その光景を見て、かなりショックを受けていた。

子供たちには大きなトラウマになった。興奮状態が続いていたモニカに鎮静剤の注射が打たれた。ロレンツは子供たちを慰め、抱きしめた。

ズカスが聞いた。
「男の身なりは?」

ロレンツが答えた。
「陰毛とナイフよ」

8歳のマークが、隠れていたベッドから顔を出して言った。
「ママにとっては、ごく普通の日だったね」

この事件の後、ロレンツたちは空港近くのホテルに移動し、ハネムーン用のスウィートをあてがわれた。なんでも食べ放題であった。襲撃事件の捜査がただちに開始され、捜査班は男の血痕をたどった。数週間後、襲撃者が判明し、刑務所に送られた。警護を怠った警備係二人は、こっぴどくお灸を据えられた。

保護拘束期間中の後半、ロレンツは緑色のノートに、カストロとの出会いから、亡命キューバ人との関係、暗殺集団「オペレーション40」の存在、スタージスらのダラス行きまで、自分が知っているすべてを書き記し続けた。暗殺特別調査委員会に、後に証拠物件として提出された、あの陳述書である。

1978年5月1日付で、委員会で証言するよう召喚状が来たとき、ロレンツは逃げ出したい気持ちになった。だがもう、逃げ回るのはうんざりであった。覚悟はできていた。洗いざらいぶちまけ、このような逃亡生活にピリオドを打つつもりであった。

▼猜疑心
そうしたロレンツの覚悟や、これまで潜り抜けてきた修羅場のことなど、まったく理解していない特別調査委員会のメンバーは、依然として的外れな質問を繰り返していた。

マクドナルドは、ニューヨークでのロレンツの仕事について質問を続けた。 
「あなたは雇われた情報部員だったのですか?」
「はい」

 「あるいはただの情報提供者?」と、ロレンツがFBI情報部員であるとは信じられないといった様子でマクドナルドが聞いた。
 「いいえ、違います。私は報酬を得ていました」

 「しかし、あなたは特別の情報部員だったのですか? つまり、あなたはバッジとか、身分証明書を持っていたのですか?」
 「給料をもらっていました。スパイ活動をしていたのです。そのとき、その十三年だか十四年だか十五年だかの間で初めてフランクに会ったのです」

 「そのことについて、くどくど質問したくないのですが、もっと明確にFBIのスパイ活動のことを話してほしいんです。情報提供者として働いていたのですか?」
 「いいえ」

 「情報を提供するだけではなかった?」
 「違います。私は工作活動をするスパイだったのです」

 「工作活動をするスパイ?」
 「はい」

 「どういう意味ですか?」
 「つまり情報提供者は情報を提供するだけです」

 「そうですね」  「私は情報を与える以上のことをたくさんやっていました。ずっとそれ以上のことです。情報提供者などと呼ばれると腹が立ちます」

 ロレンツはこう言いながら本当に腹が立ってきた。マクドナルドは少しも、ロレンツの言うことを信じようとしない。ロレンツがFBIのために活動していたとはどうしても信じられないというのだ。

 まだ納得できないという顔をしながらマクドナルドが言った。「オーケー。ではただの情報以外の多くのことというのはどういうことですか?」
 「いわゆる情報提供者が、ソ連使節団に入り込み、KGBの将軍を罠にかけるなんてことをするはずないでしょう。情報提供者はお金と引き替えにに情報を提供するだけです」

 「あなたが一緒に働いたFBI捜査官はだれですか?」  「直属の担当捜査官はアル・チェストンでした」
チェストンはロレンツが結婚したルイスの同僚で、毎朝ロレンツと朝食をとりながら情報交換し、その情報を上層部に伝える役割を担当していた。ロレンツは彼を「アンクル・アル」と呼んでいた。

 「どのくらい頻繁に彼と会っていたのですか?」
 「毎日です」

 「すると、ずっとその間、フランク・スタージスとは接触していなかったのですね?」
 「いませんでした」

 「七七年にあなたが実際・・・」と、マクドナルドがそう質問をしかけるや否や、ロレンツは一気に当時のことを話し出した。

▼決定的な証拠
 「私の担当捜査官(アル・チェストン)がある朝、入ってきて、ダイニングルームの食卓の上に新聞を投げるように置いたのです。その新聞には、ウォーターゲート事件の裁判の記事と、エドゥアルド(ハワード・ハント)とフランク・フィオリーニ(スタージス)の写真も出ていました。
私は"フランク・スタージスですって。違うわこれはフランク・フィオリーニよ。それにこれはエドゥアルドだわ"と言いました。すると担当捜査官は"どういうことだ?"と聞き返してきたのです。私は彼に彼らのことを話しました」とロレンツは、疑り深いマクドナルドに向かってまくし立てた(編注:自伝では母親が見ていた新聞を見て、ハントとスタージスの写真を見たことになっている)。

ロレンツは続けた。
「そして次の日、私は地下室に行き、私の古いカストロの制服が入った箱を取り出したのです。箱は長いこと閉められたままでした。そうしたら、たまたま何枚かの写真が出てきたのです」

 この写真こそ、ロレンツの証言を証明する決定的証拠だった。

 マクドナルドは身を乗り出して聞いた。「だれの写真ですか?」
 「訓練場での私たちの写真です。アレ・・・」

 マクドナルドは待ちきずに口を挟んだ。「今でも持っていますか?」
 ロレンツは続けた。「アレックス(ローク)はいつも、彼が行方不明になる前、行く先々で写真を撮っていました」

 これが本当なら、いかに懐疑的なマクドナルドでも、ロレンツの話が作り話とは言えなくなる。

マクドナルドが聞いた。「何枚の写真を持っているのですか? まだ持っていますか?」
 「四枚ありました。一枚はアルにあげました」

 「アル?」
 「アル・チェストンです。担当捜査官の。それには私とフランク(スタージス)、ジェリー・パトリック、リー・ハーヴィー・オズワルドが写っていました」

 「今でも持っていますか?」
 「私の母にあげた一枚は持っています」

 「いつあげたのですか?」
 「彼女が麻痺する前です。彼女にあげました」

 「一体それはいつのことですか? 何年ですか?」
 「私が担当捜査員に写真を渡したのが七六年で、彼はそれを当時の上司であるマローンに渡しました」

 「その写真には、だれが写っていたのですか?」
 「アレックスによって取られたその二枚の写真には、反乱分子の制服姿で写っていました」

 「だれが写っていたのですか?」
 「フランク(スタージス)、ジェリー(パトリック)、オズィー(オズワルド)、フィオリーニ(スタージス)、そして私とペドロ(ランツ)です」
いずれも、反カストロ暗殺集団「オペレーション40」関係者だ。この写真があれば、暗殺集団とオズワルドが結びつく。

 「それでその写真を、七六年にFBIの特別捜査官に渡したのですね」
 「はい。私は二枚持っていました。一枚を渡し、もう一枚は私が思い出として持つことにしました。彼はその写真にだれが写っているか知ってショックを受けていました」

▼決定的な証拠2

 「ほかに何枚の写真をまだ持っているのですか?」と、マクドナルドが聞いた。
 「今ですか?」

 「そうです」
 「引っ越しをしたばかりなので、家中ごった返してます。だからよく分かりません」

 「ハーヴィー・オズワルドと写ったあなたの写真はいくつか残っていますか?」
 「私の母が亡くなった後(編注:ロレンツの母親は77年12月17日に亡くなったとみられる)、旅行カバンの中で見つけた二枚目の写真がそうです。私はランツ氏(編注:ペドロ・ランツではないのは明白。ただし、だれのことか不明。委員会スタッフのフォンジ氏を言い間違えた可能性もある)を呼び、二枚目の写真を見つけたと彼に伝えました。私は彼には写真が二枚あると言ってありましたから。初めから彼には言ってあったのです」

 「その写真は今どこにあるのですか?」
 「分かりません。私はそれをピノ・ギウセップ・ファジアン氏にあげましたから」

 「だれですか、その人は?」
 「私がFBIで働いているときにかかわり合いを持った人です。私はその二枚目の写真が恐かったのです。だから彼にあげました。彼はそのために死んだのではないかと思います。よく知りませんが」

 「あなたは当委員会のスタッフであるフォンジ氏に会った後、その写真をファジアン氏にあげたのですか?」
 「はい。というのも私のことをだれも助けてくれませんでしたから。だれに渡したらいいのかも分かりませんでした」

 「フォンジ氏はあなたにその写真を送ってほしいとか、それを取りに来たいとか、言っていませんでしたか?」
「言っていました」

 「言っていた?」
 「はい」

 「それに対してあなたは何と言ったのですか?」
 「写真のせいで私は殺されると言いました。もし私がすべてをあげてしまって、それらが証拠に加えられたら、お返しに私に何をくれるというのですか? 彼らは私を殺しに掛かりますよ。そうでしょ? 私の母は死にかけていました(編注:事実関係から言うと、「すでに亡くなっていました」が正しいと思われる)。お返しに、何を私にくれるというのですか?」

 ロレンツは当時のことを思い出して、急に感情が高ぶりだした。ロレンツはいつも危険の中にいた。しかも母親の死によって、ロレンツを守ってくれる政府幹部もいなくなり、孤軍奮闘しなければならなかった。助けを求めてもだれを信じたらいいか分からなかったのだ。

確かに、写真は決定的な証拠となることをロレンツも知っていた。CIAやスタージスも、何としてでもその写真を闇に葬り去ろうとするだろうということも知っていた。下院の委員会だって信用できなかった。委員会スタッフの中にCIAの回し者がいるかもしれないのだ。ロレンツはとにかく、危険を回避することで精一杯だった。

▼決定的な証拠3
(前回までのあらすじ)スタージスが過去をばらしたせいでFBIの仕事を失ったロレンツは、ケネディ暗殺事件の重要証人として脚光を浴びることになった。下院は1976年9月ケネディ暗殺調査特別委員会を設置、1978年5月にはロレンツに委員会で証言するよう召喚状を出した。証言の中でロレンツは、オズワルドと暗殺集団メンバーが一緒に写った決定的な証拠写真の存在を明らかにする。

 マクドナルドは聞いた。「あなたの証言では、あなたはフォンジ氏に・・・」
 ロレンツがマクドナルドの質問を制するように自分から答えた。「私は彼に写真を持っていると言いました。だけれども、ウソをつかれたうえ、一人だけ残された後では、その写真をあげるわけにはいかないとも言いました」

 マクドナルドは、ロレンツの当時の心情を察することはできなかった。何故そのような重要な写真を委員会スタッフに手渡さなかったのか理解できずにいたので、あきれながら言った。
「やれやれ。それについてあなたの言っていることにはついていけません」
 これにはロレンツは怒りを覚えた。「そうでしょうとも。あなたは全体の話がまったく分かっていませんから」

 マクドナルドも負けてはいなかった。「我々は全体の話を理解しようとしているのですよ。あなたの証言では、あなたは・・・」
 ロレンツは付け加えた。「ファジアンが見つかれば、写真も見つけることができるでしょう。私はファジアンに"写真を受け取ったら逃げなさい。私だってそうするわ"と忠告しました」

 「いつあなたは、ファジアンにそれを渡したのですか?」
 「約八カ月前です」

 「それはあなたが彼に話した後のことでしたか?」
 「いいえ。話したのではなく、私は彼にあげたのです。母は十二月十七日に亡くなりました。母の旅行カバンに写真を見つけたときに、それを彼にあげたのです」

 「何故彼に写真をあげたのですか?」
 「何故ですって? 私が持っていれば殺されるからです」

 「だれがあなたを殺すと思っているんですか?」
 「フランクに聞きなさい」
ロレンツは、マクドナルドがあまりにも理解力がないので苛立った。

 「私はあなたに聞いているんですよ」
 「フランクです」

 「フランク・スタージスがあなたを殺すんですか?」
 「はい」

 「何故、フランク・スタージスがあなたを殺すんですか?」
 「私が知りすぎていることを知っているからです」  こう答えながらロレンツは、マクドナルドがどうしてこうも状況が把握できないのか訝しがった。

 マクドナルドはなおも食い下がった。「しかし、あなたが十八年間もこうしたことを知っていることを彼は知っていたわけでしょう?」
「彼は私に命令したり、脅したり、彼が本気であることを証明したりしましたから」

 「いつ彼は、あなたを脅したのですか?」
 「この二年半の間、私が言われた通りにしない場合は脅し続けました」

▼決定的な証拠4
 「私はあなたを殺そうとする理由を知りたいだけです。あなたは、証拠、つまり写真を持っていると証言しましたね」と、マクドナルドは聞いた。
 「私は二枚持っています」

 「二枚ね」
 「一枚ではありません」

 「そしてもし、それら二枚の写真が、実際にあなたがフランク・スタージスやリー・ハーヴィー・オズワルドとフロリダ州エバーグレーズの訓練場で十五年前に一緒だったことを証明するものであれば、その写真というのは今日ここであなたが証言したことすべてを補強するのに大いに役立つわけですね」と、マクドナルドは皮肉を込めて言った。
 「もちろんそうです」とロレンツは答えた。

 「その写真は非常に大事な証拠というわけですね」
 「だけど、それを持っていれば私の命も危ないわけです。そうでしょう?」

 「ここに我々がいて、あなたは今証言している。あなたは証拠写真を持っていたと証言した」
 「その通りです」

 「それで突然、それらの写真はなくなってしまった。分かりませんね。我々も見つけ出してみようじゃありませんか」と、マクドナルドはさらに皮肉を込めた。
 ロレンツは言った。「FBIが一枚持っています。もう一枚はファジアンが持っています」

 「そのファジアン氏は、今どこにいるのですか?」
 「行方不明、あるいは死んでいるかも」

 「そもそも彼とは、どこで出会ったのですか?」
 「ファジアン氏は、私がFBIの仕事をやっているときに、かかわり合いになったのです。彼はマフィアとの接点でした」

 「何故彼のところに行ったのですか?」
 「ファジアンのことを話すと長くなります」
 ロレンツには、マクドナルドに何を話しても無駄なように思えてきた。

 「我々はもちろん、その話を全部聞きたいとは思いませんが、仮に写真が存在したとするならば、何故あなたがそのように大変重要な写真をファジアンにあげてしまったのか、その理由が知りたいのです」

 ロレンツが困惑しているのを見て取った弁護士のクリーガーが、ロレンツに助け舟を出して聞いた。「答えたいですか?」

 するとマクドナルドは、クリーガーに向かって敵意を持って言った。「意見は議長に言って下さい」
 クリーガーは「残念です、議長」と言って黙った。

 気まずい沈黙を破ってロレンツが口を開いた。「あなたたちでチェストン(ロレンツが写真を渡したFBI捜査官)を呼んで、彼から写真を手に入れたらいいじゃないの。そうしたら、私がファジアンの死体を掘り起こしてあげるわよ。フランク(スタージス)は三人の人間の命を脅したのよ。そしてその三人ともこの八カ月の間にいなくなったわ(編注:ファジアン以外の二人が誰だかは不明)」

 マクドナルドが聞いた。「ロレンツさん。何故あなたは、その写真をだれか別の人に渡すことをしなかったのですか?」
 「私の母がもう一枚の写真を二月まで隠していたからです。母は死にました。私は二枚目の写真を見つけることができないでいたんです。一枚はFBIのところにありました。もう一枚は二月に旅行カバンの中のリネン類の間にあったのを見つけたのです。そのときまでに、もう十分なほどいろいろなことが起きていたのです」

 マクドナルドは、事態の深刻さをほとんど理解していなかった。ロゼッリやジアンカーナは実際に口封じで殺されていた。ロレンツにも危険が忍び寄ってきていたのは明白であった。危険を回避する、あらゆる手段をとる必要があった。写真を人に渡したのもそのためだ。自分に何かあったら、それまでのCIAの悪事を暴いておく必要もあった。そんな思いから七七年七月にロレンツは陳述書を書き始めたのだ。

▼録音テープ
 マクドナルドはロレンツのそうした思いなど気にせずに質問を続けた。
「いいでしょう。では陳述書の十二ページで、あなたはボッシュの家での会合について触れていますね。そのとき、あなたはオズィーのことをチヴァートと呼んでいます」
 ロレンツは答えた。「チヴァート。メーメー啼くヤギ、たれ込み屋のことです」

 「文字通り、スペイン語でメーメー啼くヤギのことですか?」
 「はい」

 「それは俗語的表現ですか?」
 「はい、俗語です」

 「どこでその表現を習ったのですか?」
 「フィデルからです」

 「フィデルから。それはキューバ人の間でよく使われる表現ですか?」
 「はい」

 「チヴァート」
 「はい」

 「つまり、たれ込み屋」
 「はい」

 「それでは、その言葉はフィデルだけが使っていたわけではないのですか?」
 「ええ、彼がその言葉を教えてくれたのです」

 「彼がその言葉をあなたに教えた」
 「はい」
 「私はスペイン語の専門家ではありませんので、他の人もその言葉を使うかどうか知りません。それは一般的によく使われる言葉ですか、それともフィデルだけが使っていた言葉なのでしょうか?」
 「フィデルはその言葉を八カ月間使っていました」

 「あなたが彼をチヴァートと呼んだときのオズワルドの反応はどうでしたか?」
 「私はからかうようにして言ったので、彼は大抵のことについて不愉快そうでした」

 「あなたがオズワルドをチヴァートと呼んだとき、だれに向かってそう言ったのですか?スタージスとか、ボッシュに向かってですか?」
「そこに座っていたグループにです」

「そうしたあなたの会話は、全部スペイン語でしたか? つまり、当時スペイン語を話していたのですか?」
 「スペイン語です。私は彼が聞いても分からないと思ったのです」

 「だけど彼は理解したのですね?」
 「おそらくそうだと思います。というのも彼は、私に嫌な顔をしましたから」

 「でも先程あなたは、オズワルドはスペイン語がうまくないと証言しませんでしたか?」
 「彼がどれだけスペイン語が話せて、あるいは話せないのか分かりません」
 「それでも彼はその俗語的表現を理解したのですか?」
 「いくつかの言い回しは理解したでしょう。だけど間違いもしました」
 
「ロレンツさん。七七年の十月、フランク・スタージスと電話で話をしませんでしたか?」
 「はい、しました」
 
「あなたは録音しましたね?」
 「はい」

 「その会話を録音したテープはどこにあるのですか?」
 「家にあるどこかの箱の中です。まだ荷を解いていないのです」

 「家に帰ったら、テープを見つけ出して、我々が聞けるように手配していただけませんか?」
 「いいですよ」

 「できますか?」
 「はい。フランクが教えてくれたようなものです。彼は私のことを録音し、私は彼のことを録音しました」

 「すると、まだあなたはそのテープを持っているのですね?」
 「そのほか多くのテープと一緒に持っています」

 「そのフランクとの会話は何だったのですか?」
 「先程のテープですか?」

 「はい」
 「彼がニューヨークにやって来るという会話です。彼がニューヨークに来るたびに、私はFBIの事務所に電話して自分自身を守らなければなりせんでした。彼は話を作り上げるためにこちらに来たがったのです。彼はいつも新聞ネタを提供していますから。実際、それが彼の仕事です。記事ネタを売り込もうというのです。この二年半というもの、いつも私のことをネタにしてきました。それが一番よく売れるからです。彼はいつも、記事を売ってもうけていました。このことが明らかになったとき、私はダラスの件で保護されていました。それは私が漏らしたのではありませんでしたが、だれかほかの人が漏らしたのです。そのとき、フランクが電話をしてきました。私はフランクの声の調子で分かりました。私はテープを再生していませんが、彼は"特殊部隊がお前にしゃべってもいいと認めたのか"と言って、間接的に特殊部隊の存在を臭わせて私を脅したのです。そしてその後、別の脅しも受けました」

特殊部隊こそ、都合の悪い人物を次から次へと始末する、非情にして非合法の活動部隊であった。彼らの手により、一体何人の人が消されていったのだろうか。
(続く)


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